2012年7月30日月曜日

コンテンツ表現論-ソーシャルメディア上の人間像

ふつうは黒くないだろう物を食べてみない星さんです。

食べたもの
・銀のあん「黒たいやき
・羽田空港「黒いなり
・東京・白金「竹炭黒豆

食べたいもの
・エソラ「黒いチーズケーキ
・奈田利亭「黒いにんにく
・博多長浜ラーメン風び「黒いにくまん

そのほか「黒い食べ物

な、感じで?!
今意外とあるんですね。

「ソーシャル上の個人と実際に会って話す個人とはどのような違いがありますか。個人的な体験も交えて述べてください」


ソーシャル上の個人とのコミュニケーションと現実で実際に会って話す個人とのコミュニケーションの違い。
それは相手の顔が見えず、相手を判断するだろう情報が欠けているということ。相手がソーシャル上と現実で同じようあ話しかたや調子をしているかということ。
SNSによってはプロフィールに自分の写真を貼ることを推しているものもあるが、たいたいが自分とは全く違う何か(私の場合はたぬきの置物や市松人形)で代用している。ほかに普段は現実で言えない考えや気持ちを言ったりと、ソーシャル上と現実での温度差が激しい場合がある。
これは今まで以上に自由な発言ができ、壁のないコミュニケーションをとれると言える。しかし、悪くみてしまえば個人が特定されることがない、つまり発言に責任を持つ気持ちが薄れることにもなってしまう。

映画内で少女が現れたが、実はそれは男性が偽っていたりしたシーンがあった。
ソーシャル上では、このようなことが簡単にできてしまう。

私は該当する体験がない(SNSで顔を知らない人とあまり交流しない……)ので友人があったという話をする。
友人はゲームが好きでSNS内で話が合う、顔を知らない人と交流を持っている。その一人と実際に会ってみようという話になった。友人によるとSNSでの話しの調子から「女性・自分と同じ20歳ほど・少しおとなしめな感じ・黒髪」というイメージを持っていたらしい。
当日、実際に会ってみると「女性・20代(社会人)・はきはきとした人・茶髪」だったという。
友人いわく「頭にあったイメージと違うので待ち合わせに苦労した。よい人だった」そうだ。

この体験のようにソーシャル上だと自分の中にあるイメージと違くなってしまうことは当たり前であり、これがソーシャル上の個人と実際に会ったときの個人の違いであると思う。
一歩間違えれば犯罪となってしまうときもあるので難しいものである。

1 件のコメント:

  1. (✪ω✪ )確認しました。

    ちょっと「黒」という名前ではないのですが
    http://www.tokyotamago.com/product/gomatama/
    お勧めです。おいしいけれど喉が渇きます。。。

    そうですね、現実に会った事のない人って存在が不確かですけれど、昔であれば医者や弁護士のように、その人物自体がどうであるかは別として尊敬される職業ってあったのですが、そういう感じでソーシャルの世界って自分の立ち位置や相手について求めるものをある程度限定的に決めて接するのが安全かなと思います。

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